キッカケが生まれる「たかしまじかん」を目指して。ー田中可奈子ー
知人もいないし土地勘もない高島市に東京都江東区から移住したのが2014年10月31日。たかしまぐらしの始まりです。
当時、長男は1歳。知らない土地での子育ては、ないものばかりに目がいってしまい楽しめませんでした。

車社会で人が歩いていない・ベビーカーを押してふらっと行けるようなイベントも見つけられない、検索してもサイトや雑誌での高島市の紹介は、ごくわずか。
わたしの大きな転機 ―鈴木さんとの出会い―
なかなか出会いがない中での、わたしの転機は「パン&ケーキカフェ ふぁみーゆ」オーナーの鈴木さんとの出会いでした。鈴木さんが、優しく気さくに話しをしてくれたことが、今でも印象に残っています。

「高島には何もないわけじゃない。あるけど知らなかっただけなんだ」
今の活動につながる原点は、鈴木さんからいただいた気づきです。
そこから、たかしまじかんを開設した2017年4月から今に至るまで。加速したわけではなく、試行錯誤を繰り返しながら進んでいます。今でも。
実は移住後も、いろいろしていまして
東京でのメディア勤務経験を活かして、高島への移住後は「しがトコ」さんや「チェキポン」さんでライターをさせていただいたり、デザイン制作会社JUNOさんでもお仕事をさせていただきました。文具好きが高じてはじめたスクラップブッキングでは、講師として、保育園や子ども会のイベントでワークショップを開催したこともあります。

プライベートでは、2017年に長女を出産しました。
高島市へ移住したのが38歳だったので、既に色々な経験をしてきていました。そこから、地方移住・子育て・出産、初めてのライフステージを経験する中で、悔しい思いもたくさんありました。
仕事探しではスキルを活かした仕事の選択肢がない・自身の活動を収益化につなげられないなどなど。
それでも取材は楽しかったんです。取材を通して、応援したいお店も人も商品やサービスもどんどん増えて、その背景にある高島市を好きになっていきました。人を通じて、この土地の魅力にはまっていきました。
今の延長上にある未来を変えたい
コロナ禍のタイミングで、納屋をリノベーションしました。2020年 コミュニティスペースwaccaの誕生です。その頃から湧き上がってきた感情がありました。
「今の延長上で50歳を迎えたくない」
その想いは「決意」に変わりました。SNSも普及して、誰もが情報を気軽に発信するようになったタイミングで、たかしまじかんの更新も一旦止め、わたしは自身のスキルアップと仕事として軌道にのせることに注力するようになりました。

積極的に東京や大阪へ行って、学びました。地方だから・妻だから・ママだからといった壁よりも”得たい目的に必要な行動”をとるよう、意識と習慣が変わっていきました。大きく方向転換をしたターニングポイントです。
キッカケをいただけたから今がある
思い返してみると、たくさんの人の顔が浮かびます。あの時のいただいたご縁がキッカケとなって、今のわたしがある。こんなおもしろい未来は、東京では得られなかったと思います。
マルシェを企画立ち上げしたり、メディアをつくったり、場をひらいて交流会をしたり、会社をつくってみたりして、つくる側にいられるのは、ここにある余白と、この土地の人たちのおかげです。

だから、キッカケをあげられる側になりたいし、なります。waccaという場を通じて、たかしまじかんという発信を通じて、立ち上げた合同会社coreのPR事業として。つくる側から、今まで以上に応援側に向かいます。ちょっとしたキッカケ(後押し)があれば、可能性が大きく広がることを知っているので。
そのキッカケの1つとして、2025年10月27日 たかしまじかんをリスタートしました。もう一人発信じゃありません。広報部として動き出しています。
50歳の景色は、あの時あのままの延長上ではない景色に変わりました。
(ライティング:田中可奈子/2025.10.26)